日本古来、色の名前を呼ぶのに存在する言葉というのは4種類しかありませんでした。
「あか」「あお」「しろ」「くろ」です。 明るい=あか、暗い=くろ、ぼんやり淡き=あお、はっきりとした=しろ、というような具合。 「みどり」は色名ではなかったようです。「むらさき」も色名のようですがムラサキ科の植物の名です。 そういえば「あかい」「あおい」「しろい」「くろい」と形容しますが、「みどりい」「むらさきい」とは言いません。 緑の黒髪
緑の黒髪(みどり の くろかみ)というのは、つやつやとした美しい黒髪ということです。
「なんじゃそりゃ、緑か黒かはっきりせい」 ごもっともです。まあ落ち着いて。もともと緑は色のなまえではありませんでしたから、この表現はべつに変ではないのです。 「芽出る」が語源らしく 「みどり」というのはおそらく、ピチピチの状態。自然界なら木々や草が青々と茂る様子を言ったのだろうと想像できます。 「なに、みどりの話をしてるのに何で青々だ!」 さらなるごもっとも。この件につきましては後述。 さて、みどり。 みどりは生物の活き活きとした生命感。生まれたばかりの若々しい様子。それらを形容する言葉だったのです。 「みどりご」という言葉があるでしょう。赤ちゃんのことです。 「赤か緑かどっちやねん」 ・・・・話を戻します。 みどりごは漢字では嬰児とあてますが、この「みどり」もやはり生命感、生まれたばかりの若々しさからきています。
島崎藤村の惜別(せきべつ)の歌です。 これで「緑の黒髪」のナゾが解けたのではと思いきや、 唇はもちろん、髪の色、目の色までも変えてしまう昨今、緑の黒髪という言い回しはさらなる迷宮をさまようことに あいなるようでございます。 信号の青
音楽では絶対音感というのがあります。堅苦しく表現すると音の周波数を感知する能力のことです。
さて、色に関しては絶対色感というのがあるのかないのか、きいたことがありません。
たぶん、地球人にはそんな能力は備わっていないのでしょう。
ヒトの色判別能力はとても優れているのですが、自分で色を発することができない(コミュニケーションの言語として使っていない)ために、 他人にそれを伝えることはとても大ざっぱです。青といっても明るい青、暗い青、彩度の違いでまるっきり違う色なわけです。 それでもヒトは好きな色はなどという質問に「青です」とか答える。 古来、色の呼び方に関してはとても大ざっぱでした。むかしむかしは色についてあれこれと会話することは必要なかったのでしょう。 とはいえ現在でも大ざっぱです。今でいう「みどり」はつい最近まで「あお」と言ってました。 野菜を青物と言うし、「翠」「碧」は「みどり」とも「あお」とも読む。 信号機の「進め色」をミドリと呼ぼうがアオと呼ぼうが、日本の古来よりの色感覚からいえばどうでもよい。 そう、色に名前をつけるなんて無謀なのです。絶対的な色感覚は光をコミュニケーションの言語として使用している金星に住む地底人にしかできないのです。 |
色の名前 | 画像の名前 | かたちの名前 | 模様名前 |