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ベートーベン
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一人の天才音楽家を語るとき、この家族はまるで小説に書くために作り上げたようなキャラクタで構成されている。 ベートーベンの家系は代々音楽家。父親も音楽家だったが、息子が天才だと気づくなり金儲けに使ってやろうと4歳頃からピアノやヴァイオリンの練習を強制した。 13歳なのに11歳だとごまかして宮廷に売り込んだりもしたらしい。 「11歳なのにこんなにピアノが上手いんですよ殿様。作曲もやります。どうぞ、うちの息子をよろしく」 てな具合だろう。 酒飲みで金儲け主義の父親のきびしく苦しい練習に嫌気がさして泣きたくなった時は、優しい母親がやってきて「ルードビヒ、頑張るのよ」とかなんとか、まるでテレビドラマのような生活を続ける天才音楽少年であった。 確かに天才だったようで、モーツァルトもベートーベンの即興ピアノ演奏には感激したとか。 そして、耳が不自由であるにもかかわらず作り上げた「交響曲第九番」いわゆる第九。この曲の初演(1824年5月)にはホントかウソかよく分からないようなエピソードが数々語られている。
例えば小松雄一郎訳。 「しかり、たとえ一つの魂とて この地上にて汝がものと名付けるをえんや そをかち得ざりし者は 密かに涙ながらわれらの集いより去れ・・・」と言われてもほとんど意味不明だ。 おれが大阪弁に直してみた。 これであの 歓びの歌(An die Freude)の意味が分かるというものだ。ただし、この詞では歌は唄えない。 |
■ 歓びの歌 An die Freude (大阪弁バージョン)
おいおい そんな歌 ちゃうやろ
もっともっと気持ちのええ おもろい歌があるんとちゃうん そんな歌 うたおうやないか わあうれしい 神さんの火が光っとる あそこにいるのはユートピアから来た娘さん そうや 僕らみんなちょっとばかり酒をひっかけて 天にある楽園に行きたいもんや 世の中きびしいよってに 欲しいもんにはなかなか手が届かん そやけど あんたの凄い力で もういっぺん僕らのとこへ呼び寄せてくれや あんたの優しいふところで飲み明かしたら、 そう みんな誰でも友達になれるんや 一生懸命頑張って働いたやつは みんな僕らの友達やんか 友達の友達はみな友達なんや そいで かわいい娘と一緒に暮らせたらごっつ うれしい それこそ歓喜やで そう、友達とか恋人とかの心を 一つも つかみ取らんかった野郎はここから帰れ 黙って いね! いんで泣いとけ この世にいる奴は みんな喜びを自然のオッパイから飲んどるんや 天使はミミズにもオケラにも喜びを与えたんや 大空を渡る太陽みたいに 勝利と喜びの道をみんなで歩いて行こやないか みんな抱きしめたいわ もう全世界の人に投げキスでもしたろかいな この星空の上に神さんはきっとおるんや 分かるか、天の上に神さんはおるんやで 天の上に 神さんは おるんやで 天の上に 神さんは おるんやで |